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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)3189号 判決

控訴人 国

代理人 布村重成 小林政夫 ほか四名

被控訴人 覚林院

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(主張)

一  控訴代理人

1  被控訴人は、原判決別紙物件目録記載の土地(本件土地)及びその地上の木造萱葺平家建庫裡一棟(本件建物)を訴外妙法華寺から贈与を受けたものであると主張する。しかし、まず、静岡県三島市玉沢字西山一〇一番一の山林は、土地登記簿の表題部欄上、覚林院の所有名義となつているものの、右山林における杉・松等の植林、又は立木の下払い・つる切り・間伐等の管理行為は、妙法華寺においてすべて行つてきたものであり、このことから妙法華寺は、右山林上の立木を自己の所有に属するものと認識していたのであつて、昭和二七年ころ、妙法華寺と覚林院の各本堂の屋根替え工事の施工者・資金の捻出方法等につき問題が生じたことから、両者の間で右立木の所有権の帰属につき紛争が生じ、右紛争は、立木の伐採・売却による売得金を両者において折半するとの協議が成立したことにより、収拾されたのである。また、戦前において妙法華寺との間で本山・末寺の関係にあつた寺院は、覚林院ほか三四箇寺であつたところ、戦後は右本山・末寺の関係が解消し、その間には同じ宗派としての精神的な絆としての関係が存するだけになつたことから、従前存した寄附の強制的割り当て制度のごとき風習はなくなつたのであり、妙法華寺における宝物館建立に当たつても寄附の割り当てはなされなかつた。すなわち、妙法華寺は、宝物館建立のため覚林院から二五〇万円の寄附を受けたことはなかつたのであるから、妙法華寺が、右の寄附を受ける代償として本件土地及び本件建物を覚林院に贈与することもなかつたのである。

2  次に、妙法華寺の境内地である同市玉沢字西山九六番、九七番及び九四番の各土地並びに同寺の塔中の覚林院の境内地である同一〇〇番の土地については、いずれも昭和二三年三月二五日付譲与申請書をもつて、大蔵大臣に対しその譲与申請が行われている。妙法華寺の主管者であつた小池政恩が右の譲与申請をすべて行つたというのであれば、同人は、当時寺院の境内地につき譲与申請をすることによつてその所有権を取得することができることを知悉していたものということができ、しかも、右覚林院の境内地の譲与申請書に添付された位置図によれば、妙法華寺の塔中の唯円坊の境内地である本件土地(九九番の土地)は、覚林院の境内地(一〇〇番の土地)及び妙法華寺の境内地(九六番の土地)と明確に区画されていたのであるから、小池政恩においては、妙法華寺が唯円坊の境内地である本件土地につき所有権ないし処分権を有しているものと考えていた筈はない。

したがつて、高徳の僧である小池政恩が、妙法華寺において処分権を有していない第三者(国)所有の本件土地を他に譲渡するようなことは、およそ考え難いところであり、殊に当時住職木内桓正が居住していた本件建物をあえて覚林院に譲渡しなければならない特段の事情はなかつたのであるから、妙法華寺が本件土地を被控訴人に贈与するようなことはなかつたものである。

3  そして、被控訴人は、本件訴訟を提起するまで、控訴人又は妙法華寺に対し、本件土地につき所有権移転登記手続をすることを請求しなかつたが、このことは、被控訴人の住職木内桓正において境内地の所有権取得手続を知悉し、本件土地についてはその譲与申請手続がなされていないこと、すなわち本件土地が国有地であることを認識していたことの証左であるというべきである。

4  また、妙法華寺と被控訴人は、昭和五二年三月八日、本件土地の払下げ申請をするに当たり、妙法華寺が同日被控訴人に対し本件建物を無償で譲渡する旨を記載した確認証等を取り交わしたのであり、右によれば、妙法華寺においては、宝物館建立に際し覚林院から受けた寄附の代償として本件土地及び本件建物を既に被控訴人に贈与していたとの事実を否定しているのであるから、このことからも、妙法華寺が本件土地を被控訴人に贈与するようなことはなかつたことが明らかである。

二  被控訴代理人

1  控訴人主張の前記1の事実のうち、妙法華寺が前記西山一〇一番一の山林につき植林・下払い・つる切り・間伐等の管理行為を行い、右山林上の立木を妙法華寺の所有に属するものと認識していたとの事実及び妙法華寺と覚林院との間に立木の売得金を折半するとの協議が成立したとの事実はいずれも否認する。右山林における植林・下払い・つる切り・間伐等の管理行為は、壇信徒である付近の住民が、入会権に基づき、燃料等の生活資材を獲得するために行つてきたものであつて、妙法華寺自身がこれを行つてきたものとはいい難い。また、覚林院は、妙法華寺に二五〇万円相当の立木を寄附し、その反対給付として妙法華寺から本件土地及び本件建物の贈与を受けたものである。

2  控訴人主張の前記2の事実のうち、控訴人主張の各土地につき控訴人主張の譲与申請が行われ、妙法華寺の主管者小池政恩が右の譲与申請を一括して行つた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

3  控訴人主張の前記3の事実のうち、被控訴人が本件訴訟を提起するまで控訴人又は妙法華寺に対し本件土地につき所有権移転登記手続を請求しなかつた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

4  控訴人主張の前記4の事実のうち、被控訴人と妙法華寺が昭和五二年三月八日、被控訴人が妙法華寺から本件建物を無償で譲り受ける旨を記載した書面を取り交わした事実は認めるが、右書面の授受により被控訴人が妙法華寺から本件建物を譲り受ける旨の意思表示をした事実は否認する。すなわち、被控訴人の住職木内桓正は、右同日、本山である妙法華寺の貫首松井大周から、既に内容が記載されていた文書を示され、これに捺印するようにと求められて、これに捺印したにすぎないものであつて、その際木内桓正は、文書の内容に疑念を抱いたものの、本山・末寺の封建的主従関係による心情から、本山の貫首の説明・指示に疑問を呈するようなことは許されるべきことではないと考え、その文書の内容がどのような意味を持つものであるかについては十分に考えを及ぼさないまま、捺印するに至つたものである。したがつて、被控訴人の作成に係る文書であつても、そこには被控訴人の真意が表示されていないものである。

(証拠) <略>

理由

一  本件土地がもと控訴人の所有であつたこと、本件土地の登記簿の表題部末尾の所有者欄に「官有地第四種唯園坊境内」と記載されていること及び被控訴人が現に本件土地を占有していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、被控訴人が本件土地を占有してきた経緯について検討するに、<証拠略>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本件土地は、もと控訴人が妙法華寺の塔中であつた唯円坊に寺院敷地として無償で貸し付けていたものであるが、唯円坊は、昭和一三年一月二五日、寺号を青森県に移転することにつき静岡県知事の許可を得、その移転を実行して、昭和一六年四月一〇日、同知事に対し移転完了の届出をした。右移転に伴い控訴人は、備え付けの国有財産台帳上の本件土地につき、昭和一五年二月二二日、その地目を寺院敷地から雑種地に変更して整理替えをした。

2  被控訴人の代表者である木内桓正は、昭和六年から昭和一二年まで妙法華寺において小僧として修業し、同年から昭和一六年まで名古屋市所在の首題寺で徒弟をした後、同年一二月妙法華寺に戻り、その指示に従つて、家族とともに本件建物に住むようになつた。本件建物は、当時既に建築後約二五〇年を経たものであつた。また、妙法華寺においては、貫首小沢日精が昭和一六年四月一六日に死亡し、小池政恩がその跡を継いで貫首となつた。

そして、木内桓正は、昭和一九年九月一日、旧覚林院の住職に就任したが、旧覚林院は、妙法華寺の塔中(末寺ともいう。)で、元来本件土地の西側に隣接する静岡県三島市玉沢字西山一〇〇番境内地一九一七・七五平方メートル(なお、この土地は、昭和四八年三月二九日に一〇〇番一境内地一九一六平方メートルと同番二の土地に分割された。以下、一〇〇番の境内地という。)を寺院敷地とし、その地上に本堂を建築所有して宗教行事を行つていた。

3  唯円坊が寺号を青森県に移転したことに伴い、その壇信徒は旧覚林院に帰依するに至つたが、旧覚林院の本堂も古い建物で荒廃しかけていたので、旧覚林院は、唯円坊の寺号移転後、唯円坊の庫裡であつた本件建物を逐次改築して、本件建物においても宗教行事を行うようになつていた。そのため旧覚林院は、本来の支配管理下にあつた一〇〇番の境内地及びその地上の本堂のほかに、隣接地の本件土地及びその地上の本件建物をも管理使用して、旧覚林院の宗教行事を行うに至つたのであるが、木内桓正が住職に就任した昭和一九年九月当時においてさえ、一〇〇番の境内地と本件土地の境界は容易に識別し得ないような状態になつていた。そして、木内桓正は、旧覚林院の住職に就任すると同時に、妙法華寺の承認を得て、本件土地及び本件建物を従前どおり旧覚林院のために使用するようになつた。

4  旧覚林院は、社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和二二年法律第五三号)の規定に基づき、昭和二三年三月二五日付譲与申請書をもつて、大蔵大臣に対し、一〇〇番の境内地につき譲与申請をなし、昭和二五年九月二八日その譲与許可を得た。右譲与申請書には妙法華寺、旧覚林院及び唯円坊の各境内地を示す位置図が添付されたが、右位置図には旧覚林院の境内地としての一〇〇番の境内地と唯円坊の境内地としての本件土地とが明確に区画されていて、譲与を受けるべき土地が明瞭に特定されていた。

本件土地については、唯円坊が寺号を青森県に移転した後、いずれの寺院(特に妙法華寺又は旧覚林院)へも無償貸付けの手続がなされていなかつたので、本件土地は、右法律の規定による譲与の対象とならないものであつた。

5  宗教法人法の施行に伴い、被控訴人たる覚林院が、昭和二七年九月一六日に設立され、木内桓正が代表役員に就任したが、被控訴人は、旧覚林院の有していた権利義務を承継し、その設立登記手続を行うに際し、境内地、山林、境内建物等の基本財産として、その総額を三三六万六〇〇〇円と計上し、これを公示した。

6  妙法華寺は、昭和二七年六月ころ、旧覚林院に対し、本山(妙法華寺)の宝物館建立のため寄附をしてもらいたい旨申し入れた。旧覚林院は、これを承諾し、旧覚林院所有の同所字西山一〇一番一山林五四八三六平方メートルの地上に生立していた杉・松等の立木を提供することとした。右山林における植林は、妙法華寺及び旧覚林院の各住職が随時これを行つてきたものであるが、旧覚林院は、右寄附に係る立木の処分手続を妙法華寺に一任し、妙法華寺は、そのころ、静岡市所在の訴外片川製材に対し、杉・松等約一七〇〇石を約二五〇万円で売却し、その売得金を宝物館建立の費用に充当した。

妙法華寺から旧覚林院への寄附の申入れは、「覚林院だけ、是非とも頼む。」というものであり、その際妙法華寺は、旧覚林院に対し、「寄附をしてもらえるならば、今使用している本件土地と本件建物を譲渡する。」旨申し入れた。旧覚林院は、当時本件土地及び本件建物が妙法華寺の所有に属しているものと認識していたので、檀信徒一同と協議の結果、これを承諾することとしたものであり、旧覚林院は、右立木の寄附により本件土地及び本件建物の所有権を取得したものと考えたが、立木の売得金と本件土地建物の価格との多寡については関心を持たず、妙法華寺に対してはその必要とする数量の立木を寄附することとしたものである。

7  妙法華寺は、昭和二七年一一月三日、宝物館を完成したが、そのころ、新たに設立されていた被控訴人に対し、改めて、今後本件土地及び本件建物を自由に使用してよい旨を申し渡した。

被控訴人は、立教開宗七〇〇年記念慶讃事業として、本堂の屋根を瓦葺にしたうえ、これに大修繕工事をすることを発願し、同年一一月一六日に起工式を行い、同年一二月二四日に本堂開堂の大法要を行つたが、その総工費として約一〇〇万円を費した。また、被控訴人は、同年から昭和二八年にかけて、右本堂と本件建物との間に渡り廊下を設置した。

木内桓正は、昭和二七年の年末に、被控訴人の過去帳に右立教開宗七〇〇年記念慶讃事業に関する記事を記載した後、「附記」として「昭和二七年六月一日本山へ宝物館建立の為旧唯円坊建物代償として……杉松一七〇〇石代金二五〇万円本山納金す。」と記載したが、木内桓正は、右附記の記事において、被控訴人が妙法華寺から本件土地及び本件建物を前記のような経緯によつて取得したことを概括的に記録にとどめ置こうとしたものであつて、被控訴人が単に本件建物(築後約二六〇年を経過したもの)のみを取得する代償として妙法華寺に二五〇万円を寄附したことを明記して置こうとしたものではなかつたのであり、木内桓正としては、「旧唯円坊建物」と記載しておけば、特にその境内地のことを明示しなくても、概括的な備忘録として十分であると考えていたのである。

8  被控訴人は、一〇〇番の境内地につき、昭和二九年一〇月二九日、旧覚林院名義をもつて前記譲与許可を原因とする所有権取得登記を経由した後、昭和三一年四月一〇日、承継を原因とする所有権移転登記を経由したが、本件土地については、本訴提起に至るまで妙法華寺又は控訴人に対し、所有権の取得を理由として、その移転登記手続をすることを請求したことがなかつた。

しかし、被控訴人は、昭和二七年九月一六日の設立以来、遅くとも妙法華寺の宝物館完成時の同年一一月三日以降、本件土地の所有権を取得したものと認識し、所有の意思をもつて本件土地の占有を始めたものであり、被控訴人は、その後本件土地を本件建物の敷地及び庭園等として占有使用し、平穏にこれを利用してきた。

また、被控訴人は、備え付けの昭和四六年度における財産目録に、基本財産として本件土地及び本件建物を掲記していたが、その登記手続については意を用いないでいたところ、昭和五二年一月一二日、大蔵省東海財務局静岡財務部沼津出張所の職員から電話で、本件土地が国有財産である旨を告げられ、その後これを調査して、本件土地が登記簿上前記のように官有地として記載されたままになつていたことを知つた。

三  ところで、控訴人の提出に係る乙第一八、第一九号証は、弁論の全趣旨により成立を認めることのできる書証であるが、乙第一八号証は、右静岡財務部沼津出張所の職員が、昭和五二年一一月一四日、三島市所在の通猛寺住職訴外高田政行から事情を聴取して、これをまとめあげた復命書であり、乙第一九号証は、右東海財務局管財部の職員が、昭和五三年九月二日、妙法華寺の執事長訴外小池政臣から事情を聴取して、これをまとめあげた復命書であるところ、右各書証には、高田政行及び小池政臣の供述自体においてさえも、伝聞又は推測に基づく記述が数多く認められるうえ、右高田及び小池両名の供述に対しては反対尋問の機会が全く与えられていなかつたのであるから、右高田及び小池両名の供述内容を主体として記述されている右各書証は、その信憑性に乏しいものがあるというほかないものであり、この点を考慮すれば、右各書証中、前記認定に反する部分は、前掲の各証拠と対比して、いずれもたやすく信用することができないものというべきである。

四  次に、<証拠略>によれば、被控訴人は、昭和五二年三月八日、妙法華寺に対し、「此度、本山の格別なる思召しをもつて本山に帰属しておりました旧唯円坊の建物を当寺へ無償譲与下されました事につき住職以下役員一同感謝に堪えません。」と記載した「証」と題する書面及び「本山妙法華寺建立にかかる旧唯円坊の建物を格別の思召しをもつて今般覚林院に無償譲与下されました事につきまして、又、旧唯円坊敷地である官有地の払い下げを受けるにつき、そのご承諾を得ました事につきまして、衷心より厚くお礼申し上げます。」等と記載した「念書」と題する書面を差し出し(この事実は当事者間に争いがない。)、同日、妙法華寺から、「覚林院の境内地が狭あいであり、しかも本堂のみで庫裡が無い状態でありました為に、当山としては、旧唯円坊の建物とその敷地を覚林院側が使用することを認め現在に至つたものであります。上記理由により覚林院が国有地の払い下げを受ける事についてはここに同意致します。」と記載した「同意書」と題する書面を受け取つた事実を認めることができるところ、右同意書、証及び念書の三通に記載されている内容は、前記認定の事実と相容れないものであることが明らかである。

そこで、右各書面が作成されるに至つた経緯について検討するに、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  前記静岡財務部沼津出張所の職員は、管内の国有財産につき現況調査を行つた結果、台帳上普通財産として記載されている本件土地が、被控訴人によつて前記認定のように占有使用されていたものであることを知り、昭和五二年一月一二日、被控訴人に対し、本件土地が国有地であることを告げて、本件土地を売り渡してもよい旨を申し入れた。

(二)  被控訴人の代表者木内桓正は、これを聞いて驚き、早速檀信徒総代等と相談してその対応策を講じようとしたが、その間に被控訴人の訴訟代理人から、本件土地については取得時効の成立する確率が高いとの見解を聞くに及んだので、控訴人(右沼津出張所)に対しては、被控訴人において既に本件土地を時効取得したとして、無償でこれを譲り受けるべきであると申し入れることとした。そして、木内桓正は、同年三月七日にも、檀信徒総代等とともに右沼津出張所を訪れ、本件土地につき無償で被控訴人に所有権移転登記手続をしてほしいと申し入れた。

(三)  右沼津出張所の係長訴外位田靖恭は、妙法華寺の求めに応じて、前記同意書の原稿を妙法華寺に渡していたが、妙法華寺は、同年三月八日、前記同意書、証及び念書の三通を準備したうえ、木内桓正に対し、総代の石渡与一、石井利夫及び北山静男の三名とともに各自の印鑑を持つて出頭してほしいと申し入れた。

木内桓正ら四名は、同日午後七時ころ、妙法華寺の奥書院において、貫首松井大周及び執事小池政臣から、「唯円坊の建物は本山の持物だが、覚林院で今まで長く使つていたから、返せとは言わない。それは覚林院に差し上げる。」等と言われて、右同意書等を読みあげられたうえ、後日のためこれに捺印してほしいと求められた。木内桓正は、右同意書等が官有地払下げに関するものであることに気付き、既にもらつていた土地建物につき、今更払下げとか差し上げるとかいわれるのはおかしいと思つたが、妙法華寺の末寺に位する被控訴人の立場を考えれば、その場で自らの意見を述べることは遠慮すべきものであると思い込み、右同意書等がいかなる内容のものであつて、後日いかなる意味を持つに至るかについては何ら顧慮することなく、右の求めに応じて、前記証及び念書と題する書面の各作成名義人欄の自己の氏名(これは既に記載されていた。)の右横に自己の印鑑を押捺した。次いで、総代の石渡与一ら三名も、これにならつて右の各書面にそれぞれ捺印した。そして、木内桓正は、同日、妙法華寺から、右証及び念書並びに妙法華寺作成に係る同意書の三通を受け取つた。

右の事実によれば、被控訴人の代表者木内桓正は、前記証及び念書を作成し、妙法華寺から右証、念書及び同意書を受け取つたのであるが、その際木内桓正には、右各文書の作成・授受によつて、妙法華寺との間に、本件建物につき贈与契約を締結しようとした意図はなく、また、妙法華寺から本件建物の贈与を受けるとの意図もなかつたものというべきである(この認定に反する<証拠略>の記載部分は信用しない。)。

してみれば、<証拠略>は、前記二において認定した事実を覆すに足りないものというべきである。

五  また、<証拠略>によれば妙法華寺は昭和二三年三月二五日付譲与申請書をもつて、同所字西山九四番、九六番及び九七番の各土地につき譲与申請をなし、昭和二四年八月五日譲与許可を受けて、同年一一月二二日右各土地につき所有権取得登記を経由した後、昭和四八年九月二五日右各土地につき権利承継を原因とする所有権移転登記を経由したこと、被控訴人は、前示のとおり、昭和二三年三月二五日付譲与申請書をもつて一〇〇番の境内地につき譲与申請をなし、昭和二五年九月二八日譲与許可を受けて、昭和二九年一〇月二九日右土地につき旧覚林院名義をもつて所有権取得登記を経由したこと(右土地については同日に初めて大蔵省のため所有権保存登記が経由された。)、被控訴人は、昭和二七年九月一六日その設立登記を経由したこと、被控訴人は、同所字西山一〇一番四原野一六五平方メートル及び三島市竹倉字横道四八四番一山林七八六平方メートルを取得していたが、昭和三一年四月一〇日右各土地につき所有権保存登記を経由したうえ、同日一〇〇番の境内地につき承継を原因とする所有権移転登記を経由したこと、以上の事実を認めることができるところ、右の事実によれば、被控訴人は、しばしば登記手続を履践した経験を有するものと見られないではないが、原審における被控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴人は、右の各登記手続を妙法華寺の執事等に任せ切つていて、自らこれを履践したことはなかつたこと及び被控訴人は、本件土地についても、妙法華寺においてその登記手続等を任意に行つてくれるものと考え、殊更その登記手続を求めようとは考えていなかつたこと、以上の事実を認めることができ(なお、被控訴人代表者は、右一〇一番の土地につき自ら分筆の登記手続をした旨供述するのであるが、右供述部分は、同人の他の供述部分と対比して信用することができない。)、右の事実に照らせば、被控訴人が本件土地につき本訴提起に至るまで妙法華寺に対しその所有権移転登記手続を求めなかつたことをもつて、被控訴人が本件土地につき所有権を有していないと認識していたことの証左であると見るのは相当でないというべきであり、また、被控訴人は、前記認定のとおり昭和二七年九月又は一一月当時本件土地の所有権が妙法華寺に帰属しているものと認識していたものであつて、これに反し、被控訴人において本件土地が控訴人の所有地であることの認識をもつていたとの事実を認めさせるに足りる証拠は見当たらない。

なお、控訴人は、前記譲与申請の経緯から、妙法華寺の主管者小池政恩において、本件土地が妙法華寺の所有でないことを知つていた筈で、したがつて本件土地を被控訴人に贈与する筈はないと主張するが、右主張をもつてしても前記認定を覆すことはできない。

六  以上の次第であるから、前記二において認定した事実については、その認定を左右するに足りる証拠がないものというべきである。

そして、右の事実によれば、被控訴人は、昭和二七年一一月ころから、新権原により所有の意思をもつて本件土地の占有を始め、二〇年間平穏かつ公然にこれを占有し続けたのであるから、その二〇年を経過した昭和四七年一二月一日には時効により本件土地の所有権を取得したものと認めることができる。

七  そうすると、控訴人に対し、本件土地につき所有権保存登記をしたうえ、右時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める被控訴人の本訴請求は、すべて理由があるから、これを認容すべきであり、右と結論を同じくする原判決は相当である。

よつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田洋一 加藤一隆 長久保武)

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